自己満喫会、その始まりは讃岐うどんだった

 

 

2002/9/13〜15

うどん食べに讃岐へ。自己満足、いいんじゃないですか。って、始めたんだよね。

しかし、何で讃岐うどんだったのかというと、記憶がない。確か、讃岐うどんブームのはしりの頃でテレビか雑誌かで見て、これだって思ったんだろうね。

大学在学中は、ほとんど大掛かりな旅に出たことはなかった。お金もなかったし、旅に出るなんて観念がなかったのかな。時間はあった当時に旅をこなせなかったことはちょっと悔やまれるかな。バイトで忙しいって何じゃらホイだよね。
そんな思いを馳せても仕方がなく、その反響がこれからの旅好きにつながったんだろう。就職して2年目、社会の流れをつかみ始めた頃から毎年、毎月のように出かけることになったのだ。

 

 

1日目

さてさて、旅の始まり。

羽田発7:30の高松空港行き。飛行機乗るのに慣れていない私達、出発の時間10分前に羽田到着。係員に探されていた我々。放送でも呼び出しがかかっていたのだろう。そんな状況に気づいて、係員と一緒に走った。そう駆け込み乗機だ。

短いフライトで高松に。ナビ付きレンタカーを借りることになっていたが、ナビが付いていない。申し込んだ旅行代理店に連絡して、ナビを付けてもらった。だけど高松市内の営業所まで行かなくてはならなくて、かなりのタイムロス。
でも、その日の夜、宿泊先のホテルにウィスキーロイヤルが届けられていた。心遣いはありがたいんだが、ウィスキーを飲める我々ではなかった。
 

 

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うどん食べに行ったのに何故か最初に向かったのは徳島は鳴門の渦潮。PDGM(ペーパードライバーゴールド免許)の長岡君の運転で高速に乗り進む。いや〜あれだけ空いている高速は安心して乗っていられるね。前にも後ろにも車がいない・・・。

途中のPAにて初の讃岐うどんを食べる。はじめてのセルフ方式だった。
うめかった。
本格派ではないのだが、これがうまい。
結構、衝撃的だったな。
 

観覧フェリーに乗って海の上から渦潮を望む。あんまり良い潮の時間ではなかったけど、それでもかなりの迫力だったよ。おもしろい。

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次は鳴門海峡を展望台から眺めることに。写真はアジア最長のエスカレーター。確かに長い。でも見てみてガラス張りなのだ。いわゆる温室と同じ。窓は開いているものの焼け石に水ってやつ。

 

 

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汗だくの後、展望台に到着。眺めをしばし満喫。鳴門大橋の先には淡路島が見える。

ここでお昼となるわけだが、今回は讃岐うどんを楽しむ旅のはず。しかし、鳴門の渦潮見た後は瀬戸内海を右手に延々と高松に向かっていたものだから、海の幸が無性に食べたくなってしまった。で、結局は刺身定食を食べてしまう。道路向かいにうどん屋があったのに。これは我々の旅史上、最大かつ最悪な過ちであった。

 

今日のお宿、高松市内に向かう。途中、源平屋島古戦場を眺める。那須与一が扇の的をバシッと射止めた戦いのところで、潮の流れを利用して、源氏が逆転勝利を果たしたところかな。ここで不思議少女Aと出会う。確か、源氏って平氏ですか?って尋ねられたようなそうでないような。

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その後、初ちゃんとしたうどん屋で食べる讃岐うどん。お店は「わら家」。古民家風のたたずまいで、釜揚げうどんが有名らしいが、そんなことは知らない。普通のざるうどんを食べた。うまかった。

 

 

写真なくてゴメンネ。

夜、長野君が合流。空港に迎えに行く。相変わらずのいでたちと笑顔だった。

夕飯は当然讃岐うどんだ。繁華街の外れにあるカレーうどんがうまいお店「鶴丸」。うまかった。

 

写真なくてゴメンネ。 

 2日目

確か、朝飯を食べずに出発。
向かうところは、超有名店「山越」。
高松市内からそんなに遠くない。
店は8時台だったけど結構並んでた。
ディズニー方式で列を組んでいた。
次から次へとうどんは茹で上がるので回転は速い。

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 ここで、人生初のちゃんとしたセルフ方式うどんを食べることになる。
まず、レジで何を食べるか言って、お金を払って、お椀をもって、茹で釜の前に行く、
頼んだのは「かまたま」溶いた卵に釜揚げうどんをどばーっと入れ、熱いうちに混ぜる、
熱で玉子がいい具合になり、セルフでつゆとねぎをかけ召し上がり。
この写真がそれ。唯一のうどんの絵が残っている。

写真なくてゴメンネ。

PDGMの運転で峠を越える。結構なスリル感を味獲ます。次なるは「長田うどん」。釜揚げうどんのおいしいところ。自分ではランキング1位だった。3人だと、たらいに釜揚げうどんが入って出てくる。うまい。1軒目で大盛を食べてしまったので2軒目が厳しい。はしごする時は普通盛でいこう。

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香川県といえばと、金比羅山へ行く。階段を延々と昇り本殿へ。杖を借りぬ愚か者よ、後でつらいぞ。実はこの記録を書いているのは20085月末、2002年の記憶なんて薄れている。デジカメ持つ前で写真も少ない。もっと早くHP作成に挑んでいればよかったね。

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続いて、善通寺。弘法大師が生まれたところ。近所に弘法大師温泉があって何となく親しみがあるんだよね。サクッと見て終わり。記憶がない。

 金比羅山昇り汗だくとなったので温泉を探す。観音寺市にある瀬戸内海を望む日帰り温泉へ。

 

と、その前にうどん屋「  」へ。竹輪の天ぷらトッピングで食べた。が、時間も午後になっていると麺も伸び伸びであんまし旨くない。うどんは午前中に限りますな。

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今晩の宿は丸亀市内。戻ります。その途中、実は1番見たかったもしれない讃岐富士の脇を通過。この山はあちこちから見えてて、何か愛らしい山だね。他にも、日本昔話風の山山があちこちにありましたわ。

 

 で、瀬戸内海初体験の私としては、瀬戸大橋を見ずして帰れるかと思い見に行く。見に行くだけのつもりだった。高速道路で向かったのだが、降りようと思ってたICは入口専用だった・・・。降りられず直進。瀬戸大橋を走ってしまいました。まぁ、それは瀬戸大橋を通過したいと思っていたけど、高い交通料に腰が引けてたわけで、それはそれでショックなわけで、ずるずる。

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 瀬戸大橋途中の 島で一旦降りる。展望デッキみたいなところがあって、しばし情景を楽しむ。途中で降りて戻れば交通料も安いらしい。結構引きずっていた私ホッとする。

 

瀬戸内海に沈む夕日。正確には本州に沈んでいった。

ホテルに入る前、中古のCD屋で格安の音楽を求める。これがヒット。河原朋美、徳永英明、ドラクエサントラとこれからのドライブに大いに役立ったのだ。

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この日の夜は、丸亀市内。オークラ何とかホテル。東京のオークラとは関係ない。しかし、この時の旅くらいかなちゃんと泊まるところを手配していったところを。

夜街に繰り出す。どんな所で飲んだか覚えていない。飲んだ後には「 」にてうどんを一杯食べた。タクシーの運転手に連れて行ってもらった。わかめ練り込みうどんだったかな。

 写真なくてゴメンネ。

 

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3日目

丸亀城へ行く。城壁(?)土台(?)がかなり高い城だ。

 

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正面で写真を撮ってもらおうとした。声をかけた人がすごい。国連会議に出席するという強者に出会った。よく分からないが、今から高速バスで新宿に向かう。お疲れ様です。

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そんで、丸亀競艇場へ。軍資金は1人500円1000円。ルールは知らん。オッズも知らん。買い方も知らん。知らん。が、結果的に3人トータルで勝ちという結果に。

 写真なくてゴメンネ。

 

 

次のうどん屋は「おか泉」昨日の飲み屋の人に教わった店だ。冷やし天ぷらうどんを食う。ちょっと並んでたかな。うめかった。けど、店舗型のお店だったので「山越」みたいな讃岐うどんを感じられなかったかな。

 写真なくてゴメンネ。

ここで、予定していた日程はすべて終了してしまった。ということもあり、栗林公園へ。緑緑している公園で、鯉の餌付けに夢中になって、アイスを食べるために臨時徴収をしたんだよね。

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次いで、「大円」うどん屋へ。牛すき焼きうどんを食す。普通のにすればよかったかな。再次いで、「なかむら」で、この旅最後の讃岐うどんを食べる。

この後、事件発生。我らが誇るPDGMがやってくれました。空港への道のりで片側2車線から片側1車線の細い道に入ったとき、ここはアメリカか、今で言う欧米か、平然と右側車線に入り走っているじゃありませんか。対向車が来なかったから良かったものの。

結局のところ、全部で10軒のうどん屋を巡ることができた。確かにうまいし、安いし、楽しい。しかし、東京に帰ってきてココスで反省会をやったのだが、そこで食べた包み込みハンバーグの美味さといったら何にも負けるものがない。肉と米、最高です。

この旅が自己満喫会の始まりで、積み立てを開始したのもこの時だったんだよね。そんで、会計は長岡君ということで、まぁ永久的に長岡君な訳で、これがまた決算が合わない合わない。どうしようもない。合ったためしがない。それでも自分がやることあって、やっぱり合わない。まぁいいべ。

自己満喫会を作って、年に1回くらい大きな旅を企画しようと3年くらいは続いたかな。でも、社会人何年目となるとなかなか集まれなくなっていってしまうという流れになるんかな。

 

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